こんにちは、八幡ココロです。
50代男性は多くが城好きです!
って書いてしまいましたけど(^^;
結構賛同していただける人もいるんじゃないでしょうか?私は石垣好きから始まりまして、城好き、歴史好き、土塁好き、堀切好き、廃城好きにまでなってしまいました。
日本100名城スタンプも頑張っていまして現在70城まで行ったところです。またお披露目しますね。
さて、
今日は宇都宮城に行ってきました!
私事ですが、このブログを始めた時は立川に勤務して、町田に単身赴任していたんです。10月に大宮に移動になり、埼玉県の蕨(わらび)というとことに引っ越して単身赴任しています。
大宮支店というところに席はあるんですが、宇都宮と仙台にある会社の営業拠点も私の担当でして、行っているんです。
今日は打ち合わせが午後からだったので、朝に宇都宮に移動してその足で宇都宮城に行ってきましたよ!
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宇都宮城は歴史的に重要なお城
ということを、ここに来るようになって知りました。宇都宮に来るようになって、「お城あるやん」って知って調べてみたら
戊辰戦争の時に取った取られたの何度もの激戦!
をしてるんですね。
最後の城主は47代で戸田忠友(ただとも)で、この人は徳川の譜代大名でしたが、明治維新の時は旧幕府側ではなく、新政府側に立ったんです。
なぜか?というのは興味を持ったら調べてみてください。
その宇都宮城に、旧幕府軍の大鳥圭介(おおとりけいすけ)(※漫才師の鳳啓介とは別人)と土方歳三の2千人が攻め入って奪取しました。宇都宮城には留守番の2百名ほどがいただけだったということです。
その時に残念ながら宇都宮の街も宇都宮城の御殿も消失してしまっています。
それを新政府軍が取り戻します。
それを取り戻しにまた旧幕府軍が攻めてくるんですが、郊外で田川を挟んで戦い、正面とは別に迂回して下流から背後を突こうとした政府軍が間に合わない間に旧幕府軍に突破しました。
政府軍は城に近づいた市街にまで押されて、本丸に近い城門でまた激戦となるのですが政府軍が押し戻し旧幕府軍を敗走させます。その時に土方歳三は膝に負傷を負います。
それ以降、宇都宮城は新政府軍の拠点となり三方から奥羽に攻め上がり、白河や二本松や会津の戦いにつながっていきます。 大鳥圭介も土方歳三も太平洋から幕府の咸臨丸に乗って函館に行きます。
そこで五稜郭での戦いとなり、土方歳三は戦死し、大鳥圭介は新政府に仕えて岩倉使節団の一員にも選出され新政府の大臣までしています。
こんな話も面白いですね
ボラインティアのガイドさんに聞いたんです
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この動画に出ているガイドさんだけでなく、資料館のガイドさんにもいろいろ教えてもらいましたよ。白い髭を生やしたおじいさん、歴史にすごく詳しくて地元愛に満ち溢れている、どんどん話しかけてきてくれる、いっぱい教えてくれる。
私も70歳を超えたらこんなおじいさんになりたいんですよ!
ぜひ宇都宮城に行ってください!
行き方
JR宇都宮駅からゆっくり歩きました、2kmくらいでしょうか、30分弱、気持ちいい歩く距離です。
ここでは10月に餃子祭りや流鏑馬(やぶさめ)を開催してものすごく盛り上がる宇都宮市民の自慢の場所のようです。そう、宇都宮市は浜松市と餃子日本一を競っている町、餃子自慢もありますよ。
二荒山神社もあります。これは平安時代からあってね、一宮(いちのみや)として祀られていたのが「イチノミヤ」→「ウツノミヤ」と訛ったのが、宇都宮の起源のようです。
戦勝祈願のために源頼朝も豊臣秀吉も来たようです。
今度行って御朱印をもらってきますね!
(編集後記)
城好きなんですよ!これまでたくさんのお城に行ったけど、ブログもYouTubeもしてなかったからね、もったいないけど(^^;
これからは「大人のサロン」の中で載せていきますね、お城巡りは一生の趣味です!
八幡ココロでした。
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