昨日書いたように行ってきました🏯
こんにちは、八幡ココロです。
私はお城巡りを趣味にしていて、現存12天守は全て制覇し、日本100名城スタンプは現在70を制覇しています✌
忍城のスタンプ!
定年サロンの代表的な共通の趣味が、”城”、と決めつけて書いていきます!
のぼうの城のモデルとなったお城ね↓
残念なのはね(^^;、これらは全部再建です。
写真全てが再現です、3層櫓も、堀も、石垣も、黒鉄門も、全部作り物です。
場所は、本当に元々天守があった場所です。絵図の通り沼地というか、池と言うか、そんな真ん中に建てられていた城なんです。
明治の廃城後、建物は壊され全部埋め立てられて、この場所は野球の球場となっていたそうです。
それが昭和63年(1988年)に、堀や塀や3層櫓の再建とともに、博物館として開館したのが、今日の写真です。お城全体が大きな博物館なんです。
私の感想としてはね、この忍城を続日本100名城として登録していいのか?と思いますね。
昔あった場所に、私が立っている、と言うだけですね。
本当にすごいのはこれです、石田三成が築いた堤! ↓
本当に残っていました、ビックリしました!
忍城は石田三成2万の軍勢に500人で守り切ったのは「史実」です
1590年、秀吉の小田原攻めの時に、秀吉の大軍勢は北条の出城を押しつぶしながら向かったんです。韮山城や山中城など、北条の防衛網を大軍で踏みつぶしながら迫ったものなので、出城を守っていた将兵はみんな小田原城に逃げ込んでしまいました。
そんな中で粘ったのが忍城です、500人で籠城戦を戦い抜いたんです。石田三成が文官として大した武勇がなく福島正紀や加藤清正になめられているので、秀吉が、お前もちょっと武勇をあげてこいと三成に2万人を任して向かわせたのです。
秀吉が、「忍城は水攻めで落とせ、自分が見に行くから、抜かりなく仕事をしていい土手を作るように」と書いた文書が残っていました。三成は褒めてもらおうと思ったでしょうね、5日間?で作ったと言われる超絶な土手が石田堤として残っています。
結局、忍城は水攻めにも落ちないまま、小田原が先に降伏して開場しました。
籠城戦と言うのは、後詰という味方が駆けつけて、包囲している敵を背中から攻撃してくれて、その時に籠城側も打って出て挟み撃ちしてやっつける戦いです。
小田原が先に降伏してしまったら後詰は望めません。だから500名でよく粘ったのですが、その後開城しました。
こっちでしょ本当の続日本100名城は、石田堤!
って思いますね、やっぱりこんな遺構に感動しますよね!
遠いですけど出かければ感動があります。
出かけましょう!
ついでに営業で出張ばかりしてきた私が便利な予約サイトを載っけておきますと、物件の多さとポイントの付きやすさではじゃらんnetさんが間違いないと思います(^^)
編集後記
こんな感じのアップが楽しいですね!
こんなお城の記事もあなたに見てもらって興味がありますよね(^^)
ということで定年サロン、これからもできるだけ毎日書いていきます!
パソコンは940円まで来ました。
今日、道の駅で唐辛子を買ってきました。
八幡ココロでした!
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