こんにちは、八幡ココロです。
これ、得意のシリーズになりそうです(^^;
売上が無茶苦茶悪くて、経営が大問題にしている時
一人目の部門長はこう言いました
- 部門メンバー向け勉強会や説明会を予定どおり開催する
- そこに来て、「先が見通せずこんな予算を立ててスマン、自分の責任だ」と謝る
- 経営からはきつく言われているが、俺の責任で耐える
- 君らは厳しい環境だが頑張ってくれ
二人目の部門長はこう言っています
- こんな緊急事態だから勉強会などは取りやめる
- もっと客に行け、行動量をモニタする、ダメな奴へのマネジメントをしっかりせよ
- PDCAが大切だ、計画を立て報告にこい、俺がチェックしてやる
- そんな計画はダメだ、やり直し、次いついつ報告してこい
ハハ、これは私の会社でのこの一週間の実話です。
今日の話題はこれで終わりです
私がこれ以上解説する必要はありませんよね。分かりますよね、書かれている一人目と二人目がどう受け止められているかは。
(後記)
売上ダウンはこの30年で何度も経験しています。1990年のバブル入社です、その年にバブルははじけたと言われています。業界が甘かった、まだ日本企業が甘かったこともあり、翌年の1991年までは売り上げが伸びたのですが、1992年からドーンと売上が落ちました。入社3年目です、何となく人ごとのように受け止めながら自分自身は平気な顔で営業を頑張っていました。
2000年にデジタル不況があり、200*年に創業以来の初めての早期退職があり、翌年社長が交代しました。私はまだ入社10何年目の若造で、自分自身はイケイケで営業成績を伸ばしていましたので実感がありませんでした。30代の私は当然早期退職の対象ではなく、応募して辞めていかれた50代の大先輩のことに対して私は人ごとのようでしたね。
今は完全に自分のことですけど💦
次の2008年のリーマンショックでの厳しい経験は書きました。これが実際はシリーズの⓪でしょうね。その後は、2011年の震災、翌年の2012年の特に関東の売上激減、その時に売上責任者だった私がえらいことになったことはカミングアウトのところで書きました。
それから7年ですね、ちょっとした上下はありましたが、去年の後半から今、ものすごく売り上げが悪いんです。私が関東の責任者をしていた2012年と似ています。今の現場責任者が気の毒です、ひどい状況です。
その時に私をやっつけた人がいます。その人が上に書いた二人目です。懲りませんね、あれから7年経ちますが同じような立場にしがみつき、まさに今現在同じような無能な態度をとっています。そういうポジションに未だ置いている経営が結局はしょぼいんですけどね。
マネリジアル・グリッドの話をします
1964年にブレイク ( R.R.Blake ) と ムートン( J.S.Mouton )によって提唱された、リーダーの行動スタイルを「人への関心度」と「業績への関心度」の2つの軸で以下の様にマトリクス化した理論です。これもキャリコンの養成講座で学びます。
一人目の部門長は?9・9です。部下思いで、しかも有能です、実績があります。
二人目の部門長は?1・1です。まず無能です、うまく立ち回って出世しました。
私はどうだったか?
私も昔はちょっとした立場にいましたので、今になって振り返ってみます。一定のプレッシャーまでは9・9でした。と、まあ今になってそのように自分をふり返っていますけど、どうだったか?
若造が本当にそんな腹があったのか、と今の私から振り返ります。
売上のいい時は9・9のつもりでも、売上が悪くなれば9・1に向かう
ここに示唆があります、罠があります。私はそこに陥っていたかもしれません。9:5まで落ちていっていた気がします。
一人目は上の9:9、私は反省の9:5、二人目は下の1:1
一人目と二人目が会社でポジションを争って残り、その間の私が組織から弾かれている
というのが実社会の面白さですね。これが会社の実力です、これでいいんでしょうし、これで将来も悠々と会社は続くんでしょう、結果的な経営なんでしょう。
後記が長いというのもいいですよね。ほて、せっかく認めてもらったgoogleadsenseにケチがついたようなので、また広告は載せんようにします。寂しいけどまた一人旅です。
ほんならまた、八幡ココロでした!明日もアップします!
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