こんにちは、いつも八幡ココロです。
昨日の記事は全然ダメです、話があちこち行って、書き始めたところからものすごく遠いところの話に行ってしまいました。この記事では何を伝えるかをもっと整理してから書きださなければいけないですね。
今日書くことは、
- 雇用調整は2008年のリーマンショック以降きつくなった
- 私が経験したリーマンショック
- 非正規社員にしわ寄せがいく法律の話
- その法律が改正されて今年、2019年4月から施行された
その他に小ネタが二つあります
- フロイトの精神分析理論による私の幼少期の体験にたどり着いた話
- ピンチをチャンスに、という論理的な意味づけが分かった話
この小ネタの上のやつを一番初めに書いて、本題を書いて、下を最後に書きます。さて書き始めます。
※後記:結局この記事では小ネタの一つ目を書いたところですごく長くなって、それだけの記事になってしまいました。本題はまた次の記事から書き始めます、スミマセン
フロイトの精神分析理論による私の幼少期の体験
昨日、グダグダと書いた反省に触れました。私としてそれなりに反省しながら文章を眺めていたのです。そうしたら最後に自分の幼少期の経験があったことに気づきました、こんなこと初めてです、自己カウンセリングです。
フロイトの精神分析理論というのが、下の2つの格子から成り立っています。これに基づくのが精神分析療法です。
- 幼少期の体験が人の性格を形成する
- 「無意識」が人の行動の原動力となる
これらが人の行動の考え方を左右するほどの影響を与える。反道徳的だったり、本能的な感情となるということです。「三つ子の魂百まで」ということと同じなんでしょうか。
この授業を聞いた時に、「怖ぁー」っと思ったのです。今の自分を成り立たせている幼児体験まで探られて、「だからです」、とか言われても、もう取り返せないし、「やめてー、もうそんなこと言わんといてー」っていう感じがしました。あなたも同じように思われたのではないでしょうか?
そういう事で、普段私たちは過去の苦痛な体験記憶などは思い出さないようにしているんです。これは「自己防衛機制」という心を守るシステムが動いているからということです。なるほど、と。でもカウンセラーは場合によってはここに原因を求めて診療してくれることがあるらしいです。
でね、昨日のグダグダ記事の中で、私はちょっと上の先輩、年上あたりは舐めてしまって、やっつけにかかってしまうと書きました。だからかわいがってもらえないし、昔私に嫌なことを言われたりして、私を生意気だと思っている先輩連中が現在の事業部長や執行役員をしているので、ま、私は今荒っぽい扱いをされている理由の一つなんだろうな、と思っています。自業自得です、私の失敗、私のしたことです、と書きました。
ほんなら、なぜ私は先輩に反抗的なんでしょうか?
私は人生の中で、先輩にかわいがってもらったりと、うまい人間関係を築いたことはありません。未だにありません。小学校の時は年長を泣かしていましたし、中学でも高校でも同級生との思い出はたくさんありますが、先輩のことや関りがあったことなど何も覚えていません。
極真カラテの道場に通っていましたが、ここは道場に入った順番や帯の色で完全にタテの上下関係ですね。先輩によくしてもらったり引き上げてもらったりなどなかったですね。
会社では仲のよい先輩は何人かいます。けれども人間関係は、どっこいです、友達みたいなものです。先輩ですけど私はチャラの付き合いをしていますし、先輩もそれに合わせて私に付き合ってくれています、こういう先輩とは仲がいい。
私が早くに出世してしまったのもあって、先輩の方々が部下になってしまったというのもあります、こっちは後輩なので腰を低くして接しても先輩が気を遣ってくれたりしてタテの関係になったりします。だから関係が難しい。
その事業部門では当時私は一番年下の部長で、抜擢されて一番大切な関東の部長だったのですが、他のエリアで部長をしている1年2年先輩のことは、また悪い癖で舐めていました。
それだけではありません、3年上の上司の事業部長のことも私は舐めていました、というかバカにしていました。その人のことについては今もそうです、軽蔑しています、脳なりのくせに人を潰しながら立場を維持しているからです。
ま、これらの先輩たちも私のことをよく思ってなかったでしょうね、心の中では「こんにゃろー」と思っていたでしょう、今も思っていることだと思います。
これは6年~8年ほど前のことです。この後2012年、震災の翌年に関東の売上が激減して、この人たちに責任を全部私に押し付けられて、私は期の途中で、チョン!と地方の課長に降格させれて飛ばされました。
また詳しく書く機会があるかもしれませんが、私は販売店からも会社からも責任を押し付けられ実際に仕事ができない状況に追い込まれたので、「外してください」、と自分から願い出たんです。死ぬと思ったからです。寝れない日々が続いていましたし、体重も10㎏減っていましたし、笑えませんでしたし、電話がかかると汗が出ましたし腰が砕けました。
会社に言わずに自分で心療内科に通っていました。「あなたは電車に飛び込むかもしれませんよ」、と言われました。「飛び込むわけないじゃないですか、家族を守らなければいけないのに」、と言いました。「飛び込む人に限ってそう言うんですよ」と先生に言われました。怖くなって薬をもらいました。そしてお守りのように落ち歩き、心がザワザワしたときに服用しました。
メンタルで休職する人が多くいます、本当に私の会社でも多いです、本当にかわいそうにと思います。私は、一応そうはなっていません、倒れて休職しなかったからです。死ぬと思ったから自分から外してほしいと願い出たからです。
これは、心療内科の先生も驚かれていました、それはお医者さんがすることです、と。診断書を出して、会社に対して休ませるように言ったり、部署を変えてあげるようにとか言うのは先生がすることです。それを自分でやったということは、あなたはもう治りました、と言われました。
実際には中四国の田舎で5年かけてリハビリさせてもらったんですけどね。
でもそんなことで、見てくれは私は業績不振の責任を取らされて期の途中で左遷された、ということだけです。会社ではそうなっています。こんなことはよくあります、会社に都合の悪い原因は、、別の原因に置き換えられて片付けれられることがほとんどです。
この時の上司や先輩部長が事業部長連中として未だ生き残っています、その先輩たちの私への恨みが、もう今更私を引き上げなくてもいいじゃないの?なんで?ということで、放ったらかしにされているということなんですけどね。
一応補足みたいに言っておきますと、上には抗うんですが、横や下については私は大切にします。同期とも未だ信頼がありますし、私のことを心配してくれていますし、昔から私の後輩、元部下からは慕ってくれています。
ま、親分肌とか兄貴肌で、上にはケンカをしていく、こんな質ですかね。
で、フッと思ったんですよ、昨日の夜、思い出したという方がいいかと思います。
私は小さいころ、まだ小学生にもならない頃、近所の友達と遊んでいるときに、1つ2つ上からよくいじめられた気がします。何十年と思い出すこともありませんでしたが、昨日思い出しました。
私は5歳で不良デビューしていたと書きました、いじめっ子デビューなんですが、わがままで同級生の友達の間で威張っている私が、上からはうっとおしかったんでしょうね。
ちょっと上のやつは私にとって敵なんです
ちょっと上の奴は、守ってくれるとか助けてくれるとは思えない。あるいは私はちょっと上の奴らが怖いのかもしれません、だから私は警戒していて、何かあったら戦ってやっつける方向に行くんです。
これが私の”認知の歪み”なんでしょう
ここまで分かったからいいでしょう。これを、新しい認知、新しい価値観に入れ替えなければいけませんが、それは大変です。はいそうですか、と言って入れ替えられません、なんせ50年もそんな認知で生きてきたんですから。
この入れ替えはおいおい考えながらやっていきます、この私の認知の歪みに気づいたのは大きい。
と、言うことで私は幼少期の経験からくる認知のゆがみを見つけました。
※後記:途中にも書きましたが結局この記事では小ネタの一つ目を書いたところですごく長くなって、それだけの記事になってしまいました。本題はまた次の記事から書き始めます、スミマセン
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