こんにちは、八幡ココロです。
昨日まで3回続いた連載は今日はお休みします、焦らない、焦らない(^^;
今日のタイトルは何か!?と言うことですが、これは
お釈迦様、ゴーダマ・ブッダさんの言葉です。
お釈迦様の言葉です、一番大切にされている言葉です
実は私は、ブッダさんの大ファンなんです。
これが私の聖書です。
昨日のアップで、お釈迦様の言葉を載せました。
怒らないことによって怒りに打ち勝て、と。
ちょっと今日は、お釈迦様、ブッダさんについて書いてみます
仏教ってね、このブッダさんが始まりなんです。ブッダさんは亡くなって2,500年ほど経ちますが、まさか自分が死んでから、こんなに宗教の教祖として担がれて広まっているとは考えてなかったでしょうね。
ブッダさんは、きわめて人間です。人間として生まれて、人間として死んでいかれました。思想家です。その思想に当時の周りの人が共感して、宗教デビューをしてくれと言って担ぎ上げた人です。
元々インドとネパールのルンビニー、そのあたりの小さな国、釈迦族の王子様でした。自分はいい生活をしているけど、ちょっと街に出ると貧しいし人たちがいる、だから出家すると言って、嫁も子供も王子の立場も捨てて出ていったのです。変わり者です。
当時、すでに宗教はあったんです、ヒンデュー教だかバラモン教だかに入って、山に入って苦行をしたそうです。けどどれだけ死にそうなくらいの苦行を続けても何も変わらないから、何やねこれ、と言って一緒に修行をしてた仲間から外れて一人山を下りたそうです。
そして木の下にたたずんで瞑想している時にひらめいたそうです、
こんな風に考えたら、人生楽になるで
それが
悟り
です。
厳密には、悟りを開いた人と言うのは歴史上ブッダさんだけですからね(^^;
それらが、後に仏教の始祖と言われるゴーダマ・ブッダの思想です。
その思想に共感するお弟子さんが5人だか、何十人だかおられてね、本人はいやだいやだと言ったらしいですが、後押しされてしょうがなしに宗教デビューをしたそうです。
でも、だいぶんと慕われたから、こうして残っているんでしょうね。
けどだいたい、お釈迦さんの時は何も書き残していません。お弟子さんや、そのお弟子さんや、そのお弟子さんが、お釈迦さんが言ったことだといって、いろんな解釈をして書き残しています。
中には、信仰心が極まって、超常現象や心霊現象を起こしたようなことが事実のように語り継がれていたりします。けど残念ですがウソです。
お釈迦様は、ゴーダマ・ブッダさんは、人間として生まれて、人間として死んでいった、きわめて人間です。でね、
私はこの思想家としてのブッダさんの大ファン
なんです。
それこそ、たくさんのことがお釈迦さんの言葉として残っているようですが、ほんまかいな、と言う事ばかりのようです。
ま、良心的に解釈して、みんなに分かりやすいようにして、お釈迦さんが言ったことですよ、と言って書き残されていますが、それは何百年もたって書いた人の良心と解釈なんです。
何百年にわたる聞き伝手、聞き伝手のね、すでに思い込みの作り話でしょうけど(^^;
だから研究をされている人がいます、日本で有名なのは中村元(はじめ)先生です。5年ほど前に日本で4番目に国宝となった松江城のある、松江出身の博士です。
いろいろ残されている中でも、パリー語だの、サンスクリット語だので書かれている書が出典の言葉は、本当にブッダさんが言った言葉に近いだろうと、「スッタニパータ」とか、そういう古典の経典を翻訳して、ブッダの思想を研究されています。
載せたこの本も、中村元先生の研究がもとになっています。
ちょっと聞いてみてください、2時間半ありますが(^^;
昨日、怒りについて、ブッダの言葉を借りましたが、こんな別の言葉もあるんです。
実にこの世においては、恨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む、これは永遠の真理である。
だからね、昨日私が書いた怒りの処理の仕方の考え方は、実はあれはダメなんです。
恨みを捨ててこそ息む、この領域まで行かなければいけないんです。
なんせ八幡ココロですから、心の修行はまだまだ続きます。
ちなみに、仏教は飛鳥時代、聖徳太子さんあたりの時代に中国から日本に入ってきました。入ってくる前に中国ではどうしてこの仏教を入手して解釈したかは、孫悟空の話で有名な三蔵法師さんあたりが関係していますし、チベットやネパールなどに残っている西に伝わっていった原始仏教、小乗仏教と、東に伝わってきた大乗仏教、そして日本でどのように仏教が使われて今に至っているか、そんなことも、これから機会につけて、ちょっとづつ書いていきますね。
因みに、私は「ブッダの言葉のマイベスト」、を作って持っています。そのうちの一つを昨日紹介し、また一つを今日紹介したのです。
毎日持ち歩いています、何部もプリントアウトしてあって、会社の机の引き出しにも入っていますし、仕事のカバンにも入っていますし、勉強のカバンにも入っていますし、この部屋には壁に貼っていたりします。
いつでも目に入ります、何かあればいつもこれらの言葉を眺めています。あと20くらいの言葉です。出し惜しみしていますが、またちょっとづつお披露目していきますね。
八幡ココロでした!
(おまけ)
昨日、夏目漱石の本は、学校の時の課題図書になっていたからか、夏を感じる、と書きましたが、たぶん夏目漱石だから、夏をイメージしただけじゃないかな、と今日考え直しました。例えば冬目漱石なら、冬をイメージする、それだけでしょうね。
と、こんなしょうもないことを書いて、しょうもな、とクスクスと笑ってくれるのは石岡さんだけだと思いますが☺
ほな✋
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